大人のASDだった件について

大人のASDでした。日々の出来事やイラストを描く無職です。

ニートの考え休むに似たり

また、何となく偶に気が向いたときにでもブログを更新していこうと思う。

 

いきなりだが、私が大学を卒業したのが2020年の3月。今が2021年の9月。もう1年半もニートをしていることになる。まあ、今はフードデリバリーの仕事をしたりしているからニートと呼ぶには相応しくないかもしれないが、大体ニートみたいなもんだ。

 

仕事をしていて思うことは「働きたくねぇ」これに尽きる。でも働かなくては生きていけない…らしい

 

でもこれは本当なのだろうか?といつも思う。

 

twitterなどでは「親ガチャ」という単語が流行っている。

 

金持ちだったり人格者の親の元に産まれれば当たり、貧乏だったり人格者じゃない親の所はハズレといったモノだ。

 

この親ガチャという単語で私の親の評価をするならば当たりよりの普通といった所か。

 

評価の内訳としてはお金は〇で人格者かは△といった感じ。

 

小さい頃は母親のヒステリーの対処などをしていたので若干人格が歪んだなとは思うがその程度だ。

 

なにより、もう1年以上もニートをさせてもらっている時点でハズレは無いと思う。

 

この親ガチャの話題を何故出したか、それは今後の事を説明するのに丁度いいからである。

 

親は遅かれ早かれ死ぬ。どんな病気・事故・事件などで死ぬかは想像もつかないがそれはほぼ確定事項である。

 

そうなったとき遺産は子供である私と、私の兄の2人で分割して相続することになるのだろう。

 

兄は今実家を離れて一人暮らしをしているので、今私が住んでいる実家は私が引き取ることになりそう。実家のローンは払い終わっているそうなので家賃に関してはゼロ円で住める。

 

両親がどれだけお金を貯め込んでいるかは知らないが、そこそこ貯め込んでいるのではないかと考えている。何となく話しているとたまに金の臭いを感じる事があるからだ。

 

そのお金を相続した場合、細々とだがニートとして生きていくことが可能なのではないかと何となく思う。

 

我ながらクズ的思考だと考えている。

 

でも、どうしても考えてしまう。私は天性のニート気質であるらしく、同級生たちが汗水たらし必死に働いているのを横目に見ながら1年半もの間ヒキニートを続けてきたが、この生活がまっっっっっったく苦ではない。

 

人によっては部屋にこもってじっとしているのに耐えられない!という場合もあるらしいが私にはそれが無い。

 

だから今が永遠に続けばいいなどと考えてしまう。しかし、そんなことが起きる訳も無いので今で自分を終わらせる自殺という手段がいつも頭の中で鎌首をもたげている。

 

私は人が怖い。ASD(自閉症)なので当たり前だが、初対面の人と話していると強烈なストレスを感じる。それ故、バイトですら続いたことが無い。生粋のダメ人間なのである。

 

ニート万歳。ニート最高。

 

でも最近よく思う。30代・40代になってもニートを続けていって、バイトですら受からないような職歴なしのニートが出来上がったら本当にニートでいる以外の選択肢が無くなったら、私はどうなってしまうのかと。

 

そうなったとき、私はこのまま生きていき事が可能なのかと。休日の夜に色んな事が頭の中をよぎり消えていくニートです。

 

ニートの考え休むに似たり。